軽井沢お勉強紀行 2/4
先週末の続きです。
吉村山荘に、大きな影響を及ぼした、とされる建物。
それは、吉村の師レーモンドの、夏の事務所「軽井沢 夏の家」。
…
…
…あれっ?
うーん、微妙。
しかも、手前の顔出しパネルは何なのよ…。
この建物は、現在「ペイネ美術館」として利用されているのですが、正直、「うーん」。
中に入ると、もっと「うーん」。
(撮影禁止です)
この左の辺り、吉村山荘と似てると言えなくもないけど…。
実はこの建物、元からここに、この形であったわけではないのです。
夏の家(設計:アントニン・レーモンド、長野県軽井沢町、1933年)アントニン・レーモンド夏期事務所、日本火災海上宿泊施設として使用後、軽井沢タリアセン敷地内に移築、現 ペイネ美術館。出典:(株)新建築社発行、「新建築1938年第14巻」300pより。1938年発行。 出版後50年が経過し、著作権の保護期間が満了。←って書かないとダメらしい。Wikiより。
元はこんな風に、浮揚感漂う建物だったわけです。
なにより残念なのは、現在のこの建物、内部の美術品展示のため、全ての雨戸を閉め切り、さらに、窓際にずらりとパネル展示がされているので、窓からの景色は疎か、どこが窓なのかも判然としない…。
わずかにこの部屋だけが、開放的な当時の雰囲気をしのぶことが出来ます。
建物と窓。
それが、いかに大事な要素であるか、皮肉にも、この建物を通して改めて痛感させられたのでした。
そして、話は流れよく、建物と窓の関係に続きます…。
また明日。
About Me
生存確率50%の超未熟児だった娘が退院して家族がそろった夜に涙してから 家は家族の絆を育む場所だと気付く。地元で百年。これからも社員大工たちと共に創りあげ 家族の笑顔と絆を一生涯守ってゆくのが私の使命。