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ビオブログ

興国寺城跡をお散歩

こんにちは、わかめこと、酒井です。

本日より七十二候は、【小満】の次候で【紅花栄:べにばなさかう】。
紅花が盛んに咲くころだそうです。

 

先日、ずっと気になっていた近所の「興国寺城跡」を歩いてみました。

みなさん、ん?それどこ?
と思われるでしょう。

私は沼津市の、富士と三島をつなぐ「根方街道」沿いに住んでいます。
私の地元は富士市ですので、根方街道は当然知っていますが、そこに「興国寺城」なんてお城があったなんて、全く知りませんでした。

少し前に、道路沿いに旗が立っているな、なんだろう・・・。
と気になりだしたところ、回覧板で、
「北条早雲ゆかりの地、興国寺城を知ろう」
という講演が、沼津今沢地区センターであることを知り、気になっていたので、聞いてきました

意外に100人近く集まっていて、地元の関心が高いことを知りました。

まず、「興国寺城」はどこにあるかというと、国道一号バイパスを、沼津市原地区のメインストリート(?…笑)のある北に向かいます。
すると、根方街道に突き当たり、その真正面が「興国寺城跡」(沼津市根古屋)。

ただ何となく開けているけど、何もない・・・、のに旗だけ立っているのが不思議な空間。

←何もない

そして、城主は「北条早雲」。

北条と言えば関東・伊豆地域を納めた一族…→はぃ、北条政子、といった浅ーい知識しかない私。
なので、人物像は置いといて(笑)。

そんな北条早雲が生きた時代は、1488年、まだ、駿河の地を今川氏が納める室町時代。
早雲はこの城で旗揚げをし、のち伊豆韮山をせめ、戦国大名として成長する。

「興国寺城」は駿河湾を目下に、富士市、沼津市、伊豆半島が見渡せる、愛鷹山の尾根を利用した、静岡県東部を代表する山城。
約113,000平方メートルの面積をもつ。
現在、城はなく、城の石垣がほんの少し残り、大土塁(防御用の土の壁)と天守閣背後に造られた幅20m以上ある大空堀(現在、そこは新幹線が通っていました)が残る。


↑配置図


↑石垣跡


↑天守台付近からの眺め。左奥に伊豆半島。右森の下が土塁。

↑敷地内にある航空写真

1995年、国の史跡に指定され、2017年に「続日本100名城」にも選ばれました。

発掘調査によって2棟の礎石建物跡が見つかっているが、瓦の出土がないことから、一般的な城のイメージにある「天守閣」ではなかったと考えられている。
ここから城の南を通る根方街道やさらに南の東海道を監視しする重要な場所であったそう。

根方街道は、甲斐(山梨)と伊豆を結ぶ交通の要であり、その境目にあった興国寺城は、後に今川・武田・北条の争奪戦の渦中にあり、当主が今川・武田・豊臣・徳川にと、ころころと変わり、1607年廃城となったそうです。

根方街道が伊豆と山梨をつなぐ大事な道路であったり、有名な戦国時代の武将との関わり合いがあったとは、全然知らなかったなぁ。

実は、この講演が行われたのはまだ寒い2月の終わり。
暖かくなったら、城跡を歩いてみよう、と思って、歩いたのは4月の終わり。
ちょっとした、散歩コースには気持ちよかったです。

講演会では、城跡を今後どうするのか、地元の皆さん興味津々。
まだ、発掘調査は続いていて、今後、公園として整備したいそうですが、沼津市担当さんによると、ただ、見通しは立っていないんだそうです。

お近くにお寄りの際には、お散歩はいかがでしょうか?

 

文:酒井

2019年05月26日

Post by 株式会社 macs

カテゴリー:ビオブログ, 地域のこと

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